普段,何気なく食べている食、という字、食を学ぶとは食べることを学ぶという事。
つまり、食育。「食育」という文字は「食べて育つ」ではありません。
「食を育てる」です。
正しく食を学ぶことは、健康への投資であり、最高の予防医学なのです。
日本でも一部の家庭では生活の中でも食育という言葉は使われていたようで、明治36年(1903)の報知新聞社・村井玄齊(むらいげんさい)氏が家庭小説「食道楽」の中で、
「食育は、健やかな心身の育成に不可欠である」と書いたのが始まりと言われています。
「食」という文字は
「人に良い」
「人を良くする」
と読むことができます。
人と人をつなぐ「心の栄養」であるともいわれます。つまり「食育」とは
「人を良くするように育む」と言えます。
「食べ方上手は一生の得」と言われるほどです。
食育とは、味・旬・鮮度・栄養などさまざまな関連性を持って食文化を支えています。
中でも
「食の3きょう育」とは
①強育(強く、もっと元気に、丈夫に、健やかに)
②共育(共に、一緒に、仲良く、おいしく、楽しく)
③郷育(郷土の味、土地の味、伝統の味、自然の味、家庭の味、おばあちゃんの味、おふくろの味、ふるさとの味、おふくろの味)と言われています。
漢字にはたくさんの同音異義語がありますので、
「漢字を使った食育活動」
こそが日本人ならではなのだはないでしょうか。
一人で食べる「孤食」もありますが、自分の体調管理のための「個食」もあり、自己管理の「己食」も大切です。小刻みに食事管理をする「小食」や、腹八分目の「鼓食」でメタボ防止も考えられます。
朝食は心身を整え、内容を充実させた「調食」を、昼食は栄養や話題性を注ぐ「注食」。
間食は健康を考えての見るだけの「観食」をする習慣を持つような「勧食」を、それには栄養の計算ができる知識を持つ「計食」が必要です。「軽食」とはどのくらいの重さの食事を言うのでしょうか。
夕食は楽しさいっぱいの「遊食」を考えましょう。食事をする楽しみを忘れた「憂食」にならないように。見た目は派手で美味しそうなのに化学調味料で整形味付けされただけで栄養価のほとんどない「幽食」を安く済ませよう楽に済ませようとして選んでいませんか? たまには、超高級な場所で「優食」をいたしましょう。
でも、食べすぎという「過食」には要注意です。「火食」のとおり、火を使った食べ物は食べやすくて美味しくてついつい食べ過ぎてしまいます。
何十年も続いていく人生を作る土台としての健康づくりを実践する「生涯食育」も大切な学習活動です。